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民家園まつり
2013年11月04日
こんにちは!
昨日11月3日は文化の日でした。生田緑地の日本民家園では入園料無料の民家園まつりが開催されました。それぞれの住宅ではむかしの生活に関係した様々な催しがあり、午前中から大勢のお客さんにお越しいただきました。
三澤家で行われていた機織り。このあたりで機織りを見られる場所がほとんど無いためか、立ち寄った人たちはみんな興味深々で食い入るように眺めていました。

むかし遊びのコーナーでは、ちびっこ達が大人に手伝ってもらいながら藁でできた蓑(みの)や笠を身に着けていました。みんな結構さまになっていました!

輪回しは竹や鉄でできた輪を棒で押して歩くだけの単純な遊びですが、うまくころがすには少々コツがいります。バランスが崩れると輪は左右にブレてそのうちぱったりと地面に寝転がってしまいます。そうならないように転がそうとするとついつい目が輪に釘づけになり、周りが見えなくなってしまいます。
今の日本では輪回しをする子ども達を見ることはほとんどありませんが、東南アジアやインド・ネパールなどではまだまだこの遊びが現役です。

竹馬はコツをつかむまでがちょっと怖いですが、バランスが取れるようになると、これに乗ったまま走ることも可能です!
最初は大人に支えてもらいながらの練習ですが、みんなしばらくすると一人で歩けるようになります。私が遊び盛りの子どもだった昭和の時代はコンピューターゲームが無かった代わりに、大概のおもちゃ屋さんにスチール製のカラフルな竹馬が置いてあり、友達にもそれを持っている子がたくさんいました。
実は竹馬もアジア共通の遊びで、色々な場所で日本とよく似たものを見かけます。時々懐かしくなって現地の子ども達から借りて乗ってみますが、日本で竹馬乗りをマスターしていれば外国に行っても楽しく遊ぶことができますよ。もちろん竹馬に国際免許はいりません!(笑)

むかしの遊びの他に、伝統技術の実演や、布の頒布、竹細工やわら細工の頒布会などもありました。


船越の舞台は三重県の旧英虞郡船越村(現志摩郡大王町船越)の船越神社境内にあった歌舞伎舞台です。建てられたのは安政4年(1857)、民家園に移築されたのは昭和48年(1973)のことです。
この舞台では秋川歌舞伎「あきるの座」の公演がありました。秋川歌舞伎は明治時代に旧秋川市二宮で始まった二宮歌舞伎の流れをくみ、その伝統を現代に伝える農村歌舞伎です。平成12年に東京都の無形民俗文化財の指定を受けており、現在老若男女合わせて約80人の座員が役者から道具や衣装の作成までの全てをこなしているそうです。

この日の演目は絵本太功記二段目「本能寺の場」(えほんたいこうきにだんめ ほんのうじのば)、雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)、舞踊 京の四季(ぶよう きょうのしき)です。
誰もが知っている太閤記は豊臣秀吉の物語ですが、今回上演された絵本太功記は秀吉に滅ぼされた明智光秀を主人公とした物語です。本能寺の変で織田信長を破った明智光秀がその後天王山の合戦で敗れ、羽柴秀吉に滅ぼされるまでの三日天下が題材となっています。物語は全十三段となっており、武智光秀(明智光秀)が小田春長(織田信長)に対する謀反を決意する天正10年6月1日から真柴久吉(羽柴秀吉)との戦いで敗れ、落武者狩りの手にかかる6月13日までの13日間が一日一段という構成で描かれています。
今回演じられた二段目本能寺の場は天下統一を目前にした春長が本能寺で酒宴を楽しんでいるところから始まります。宴も果て、春長や同席していた皆が寝所に引き上げると、その晩遅く武智光秀の軍勢が本能寺に攻め入ります。春長から小田家の旗印を託された側室阿野の局は春長の孫三法師丸とともに落ち延びていきます。腰元しのぶは、兄が光秀側の武将であったため、わが身の潔白を証明するために森蘭丸の介錯により自害します。光秀の配下である安田作兵衛は森蘭丸との一騎打ちで敗れてしまう、というのがこの場のあらすじです。


こんな風にたくさんの催し物が開催された民家園まつり。実は何軒かの住宅は休憩所として解放されていて、よくご存じの方たちは持ってきたお弁当を広げてのんびりと楽しい時間を過ごされていました。今年いらしていただいた皆さま、今年を逃してしまった皆さま、来年の文化の日には是非民家園へお越しください!
昨日11月3日は文化の日でした。生田緑地の日本民家園では入園料無料の民家園まつりが開催されました。それぞれの住宅ではむかしの生活に関係した様々な催しがあり、午前中から大勢のお客さんにお越しいただきました。
三澤家で行われていた機織り。このあたりで機織りを見られる場所がほとんど無いためか、立ち寄った人たちはみんな興味深々で食い入るように眺めていました。

むかし遊びのコーナーでは、ちびっこ達が大人に手伝ってもらいながら藁でできた蓑(みの)や笠を身に着けていました。みんな結構さまになっていました!

輪回しは竹や鉄でできた輪を棒で押して歩くだけの単純な遊びですが、うまくころがすには少々コツがいります。バランスが崩れると輪は左右にブレてそのうちぱったりと地面に寝転がってしまいます。そうならないように転がそうとするとついつい目が輪に釘づけになり、周りが見えなくなってしまいます。
今の日本では輪回しをする子ども達を見ることはほとんどありませんが、東南アジアやインド・ネパールなどではまだまだこの遊びが現役です。

竹馬はコツをつかむまでがちょっと怖いですが、バランスが取れるようになると、これに乗ったまま走ることも可能です!
最初は大人に支えてもらいながらの練習ですが、みんなしばらくすると一人で歩けるようになります。私が遊び盛りの子どもだった昭和の時代はコンピューターゲームが無かった代わりに、大概のおもちゃ屋さんにスチール製のカラフルな竹馬が置いてあり、友達にもそれを持っている子がたくさんいました。
実は竹馬もアジア共通の遊びで、色々な場所で日本とよく似たものを見かけます。時々懐かしくなって現地の子ども達から借りて乗ってみますが、日本で竹馬乗りをマスターしていれば外国に行っても楽しく遊ぶことができますよ。もちろん竹馬に国際免許はいりません!(笑)

むかしの遊びの他に、伝統技術の実演や、布の頒布、竹細工やわら細工の頒布会などもありました。


船越の舞台は三重県の旧英虞郡船越村(現志摩郡大王町船越)の船越神社境内にあった歌舞伎舞台です。建てられたのは安政4年(1857)、民家園に移築されたのは昭和48年(1973)のことです。
この舞台では秋川歌舞伎「あきるの座」の公演がありました。秋川歌舞伎は明治時代に旧秋川市二宮で始まった二宮歌舞伎の流れをくみ、その伝統を現代に伝える農村歌舞伎です。平成12年に東京都の無形民俗文化財の指定を受けており、現在老若男女合わせて約80人の座員が役者から道具や衣装の作成までの全てをこなしているそうです。

この日の演目は絵本太功記二段目「本能寺の場」(えほんたいこうきにだんめ ほんのうじのば)、雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)、舞踊 京の四季(ぶよう きょうのしき)です。
誰もが知っている太閤記は豊臣秀吉の物語ですが、今回上演された絵本太功記は秀吉に滅ぼされた明智光秀を主人公とした物語です。本能寺の変で織田信長を破った明智光秀がその後天王山の合戦で敗れ、羽柴秀吉に滅ぼされるまでの三日天下が題材となっています。物語は全十三段となっており、武智光秀(明智光秀)が小田春長(織田信長)に対する謀反を決意する天正10年6月1日から真柴久吉(羽柴秀吉)との戦いで敗れ、落武者狩りの手にかかる6月13日までの13日間が一日一段という構成で描かれています。
今回演じられた二段目本能寺の場は天下統一を目前にした春長が本能寺で酒宴を楽しんでいるところから始まります。宴も果て、春長や同席していた皆が寝所に引き上げると、その晩遅く武智光秀の軍勢が本能寺に攻め入ります。春長から小田家の旗印を託された側室阿野の局は春長の孫三法師丸とともに落ち延びていきます。腰元しのぶは、兄が光秀側の武将であったため、わが身の潔白を証明するために森蘭丸の介錯により自害します。光秀の配下である安田作兵衛は森蘭丸との一騎打ちで敗れてしまう、というのがこの場のあらすじです。


こんな風にたくさんの催し物が開催された民家園まつり。実は何軒かの住宅は休憩所として解放されていて、よくご存じの方たちは持ってきたお弁当を広げてのんびりと楽しい時間を過ごされていました。今年いらしていただいた皆さま、今年を逃してしまった皆さま、来年の文化の日には是非民家園へお越しください!